亡き人への「 愛慕」と「怖れ」を調和する儀式

死は、悲しい出来事である。
愛する者との永遠の別れを、嘆き悲しまぬ者はいない。
葬儀とは、生き残った人々が、もはやこの世界に帰ってくることのない死者との別れを惜しむ儀式である。
死者を愛した人々がやるせない嘆きと悲しみを粉らわそうとするセレモニーである。
簡単にいえばそうなる。
けれども。。。

お葬式
じつをいえば、これでは、葬儀の本当の意味を解説したことにはならないのである。
たしかに、愛する者との別れはつらく悲しいが、それだけを強調したのでは、葬儀の本質がわからなくなるcというのは、わたしたち生き残った者は、死者に対して大きな恐怖を感じているからである。
亡くなった人に対する追慕の情もあるにはあるが、それと同時に、ひょっとしたらたた死者はわれわれ生者に対して怨み、嫉みをもっていて、わたしたちに崇りをなすのではなかろうか……といったような恐怖の気持ちがある。
科学知識がひろまった現代においては、そのような恐怖感はだいぶなくなったがそれでも、完全に消滅したわけではない。
昔の人々は死者に対して強い恐怖心を抱いていた”したがって毒そのような死者の怨念をしず鎮めることのほうが、葬儀の大きな目的であった。
死者に対する追慕の情は、むしろ二義的であった。
じつは、とこのところに、われわれが「しきたり」を知らねばならぬ理由がある。
もし葬儀が、死者を愛し、死者から愛された人々が集い寄って、純粋に故人を追慕するためのセレモニーであるとしたら、なにも「しきたり」を知る必要はない。
寄り集まった人々が、独自の方法で故人を追悼すればよい。
故人が麻雀が好きだったからということで、、、通夜の麻雀大会をやってもよいのである。
故人を偲ぶためだけであれば、それでいっこうにさしつかえはない。
しかし、麻雀大会の通夜は、冗談で語られるわりには、あまり実行されない.なぜなら、葬儀には、死者を安らかに眠らせる(換言すれば、死者の霊を鎮める)といった主要な目的があり、霊前で麻雀をやってはたして死者の霊が鎮まるだろうか……といった疑いを誰しもがもつからである。
やはり、どう考えても、霊前での麻雀は不謹慎である。
そこで、人々は「無難な線」を選んで、通夜は通夜の「しきたり」に従って営むことになる。
「しきたり」通りにやっていれば、まずは安心できるのである。
なかには開けた人がいて、通夜の麻雀大会を強行する者がいるかもしれない。
しかし、その場合に考えておくべきことは、葬儀は公開性のものだという点である。
自分たちはよくても二般の参列者にとっては、それは不謹慎に見える。
一般の人々がどういう感情をもつかといったことも、葬儀においては重要な要素である。
その意味では、「迷信」の問題も同じである。
六曜の友引といったものは、今日においては明らかに迷信である。
迷信は、これを廃止してかまわないが、葬儀の場合には、反対の結婚式とちがって、参列者の感情を考慮すべきである。
仏滅の日に結婚式をやらない迷信は、主催者側がこれを無視しても、列席者に迷惑をかけない。
なぜなら、そこで言われている迷信は、仏滅の日に結婚式をやれば、結婚した二人が不幸になるlといったものだからである。
列席者が不幸になるわけではない。
しかし、友引の日の葬式は、会葬者の誰かがあの世に連れて行かれるというものであって、馬鹿げた迷信であることはまちがいないにしても、それを気にする人々に迷惑をかける。
したがって、この場合は、迷信打破といった勇ましい行為に出るよりは、「しきたり」に従っておいたほうが無難である。
このように言えば、それではいつまでたっても迷信をなくせないではないか、とお叱りを受けそうだ。
たしかに、「しきたり」の美名に隠れて迷信を擁護するのはおかしい。
けれども、世界ほうき各国の葬儀の「しきたり」には、多くの類似性がある。
日本では出棺のあと、すぐに帯で部屋を掃くが、インドでも死体を火葬場に運ぶとき、死体に枝束をくくりつける。
いずれの風習も、死者の足跡を消すための鴎のだ二しきたり」は損趣去の時代の撫八々の共通感情にもとづいて形成されており、現在ではそれが迷信であることがわかっても、そうした共通感情がなくならないかぎり、「しきたり」が大手を振って通用する。
葬儀においては、性急に会葬者の共通感情を逆撫でするような行動をとらぬほうがよい。
つまり、「しきたり」を重んじたほうがよいのである。
*ともあれ、われわれは葬儀の二面的な性格をしっかりと認識しておかねばならない。
まず第一に、葬儀は、死者に対する生者の追慕の情を表明する最後の機会である1.と同時に、葬儀は、ひょっとすれば生者に崇りや禍いをもたらすかもしれない死者の霊を、速やかにあの世に送り込むためのセレモニーである1.この二つは矛盾している。
一方は死者への愛であり、もう一方は死者への憎しみ(に似た感情)である。
この二つをうまく調和させようと工夫されたものが、いわゆる葬儀の「しきたり」である。
読者は、葬儀には相反する二つの原理が働いていることを知っておかれると、「しきたり」の意味がよりよく理解できるであろう。